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あるということ

あるということは果たすべき務めではないし、利用することもできない。
それは対象ではなく、霊的実践、訓練でもなく、どこかへと向かう道の途上で使われる道具でもない。
あるということを何らかの務めと結びつけて考えることは、網で空気をつかまえようという考えと変わらないほど馬鹿げている。
あるということは今あるもの、そしてないものであり、したがってどこかに行こうとはしていない。
「私」がもしどこかに向かおうとしているとしたら、それはすでにあらゆるものとして存在するものを探している「私」として現れている、あるということだ。
他のものから分離しているように見えるものがなくなったとき、生はむき出しに、情熱的に、あるものすべてだ。
これは自由落下、全開の生であり、自分の生でも誰かの生でもなく、単に生だ。
あるということは、天国を地上に降ろすことも、地上を天国まで持ち上げることもしない。すべては、あらゆるものとしてある無だ。
セントジャーメインがよく言う 私はある ものである ということを的確に伝えている文章だと思いました。
分離という幻想から抜け出すとき あなたには この上ない喜びが待っているのです。
byセントジャーメイン
このエッセンスに心からの愛と感謝を込めて・・・・