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今を味わうこと

ある方式から別の方式に乗り換えるときに私たちが見逃しているのは、自由はどこかひとつの場所にあるわけではないということだが、それは単純に、自由は本質的に何かから除外されたり何かを除外したりするものではありえないからだ。
自分を待ち受けているつぎの「スピリチュアルな」高揚感に向けて行進しているときに、私たちが理解し損ねているように思えるのは、自分の探している宝物はそうやって向かおうとしている先にではなく、今まさに歩いているその足どりの単純な性質のなかにあるということだ。今よりも良い状況を見つけようとして時間のなかで突進しているとき、毎瞬姿を現している「存在すること」という花を、私たちは踏みつけている。
目的に対する私たちの執着は、自分に対して何かを証明したいという必要から生じているのではないかと思う。だが生は単純に生であって、何かを証明しようとしているわけではまったくない。今年の春が去年の春に勝とうとすることはないだろうし、トネリコの木が樫の木になろうとすることもない。
中略
いついかなる場所でも、私は静寂、無条件の愛、一元性に完全に包まれ、抱擁されている。 そのあと、どうすればこの宝物を自分のものにしておけるだろうかと、私は考えはじめた。
だが何度も繰り返し理解したのは、私が再発見しようとしていたものは、獲得することもしまっておくことも絶対にできないということだった。しなければならないことは何もなく、この宝物を受け取るに値する存在になるために何かをしなければならないという思い込みそのものが、その本来の性質の邪魔をする。
そして、このこともまた逆説だ。というのは、神性は途切れることなくここにあるからだ。それはいつでもすぐ近くにあり、準備を整えて永久に待っている。呼びかければいつでもすぐに返事をしてくれる、忠実で誠実な恋人のように……。 私たちがその存在を認めるとき、それはあり、私たちが避けるとき、それはある。 それは何の努力も要求せず、どんな基準も求めず、選り好みをしない。
それは時間を超えたものとしてありながら、歩むべき道も、支払うべき負債も見ることはない。なぜならば、それは正しいことも間違ったことも認めないし、批判も罪悪感も認識しないからだ。その愛は絶対的に無条件だ。それは私が戻るために出て行くのを、明晰さ、慈悲、歓喜をもってただ見守る。
ただあること、いまここにあること
今しかないことを知ること
過去 も 未来 も 今から離れた心が生み出す幻想・・・・
自分を愛で満たし、常に今という瞬間を味わうこと
今必要な動きを取り、今味わえるすべてを味わう
生きることのシンプルな意義
今日の学びに心からの愛と感謝を込めて・・・・

扉が開いた扉が開いた

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