あなたが間違った方向に行けば、わたしが軌道修正します 「無」という情報を処理するとき、人間の脳はどうしても光の欠如に焦点を当てますが、スピリットは虚無という概念を超えたところで無を知覚します。肉体には意識的機能と自動的な機能があります。たとえば、生命活動の維持には酸素が必要ですから、身体は特に命じる必要なく自然に呼吸します。液体と循環系も必要ですから、心臓が自動的に循環機能を調節します。神なる存在も同じ原理で働きます。自動的な機能もあれば意識的な機能もあるのです。誰かが神に祈るとき、わたしは自動的に反応しますが、その反応は祈りに注がれるその人のエネルギーによって変わります。怖れや怒りから祈ってもよい結果は出ないのです。祈りとはこうあるべきだと決めつけるのも、無知にほかなりません。わたしの延長の一つはカルマと名づけられました。カルマという順応体は反応からくるものです。つまり、カルマ自体は意識を持たず、単に意識を反映しているだけです。人間の身体の部位にそれぞれ名前をつけたように、わたしの延長部分はさまざまな名前で呼ばれています。誰かがわたしの一側面に対して祈り、その側面が能動的意識を持っていなかったとしても、祈りはわたしに届きます。これはカルマの粒子の使い道の一つです。カルマは一つの「反応」なので、意識を持った存在に反応し、その人が神を信じていようがいまいがその人の意図を伝達します。あなたがどんな信仰を持っていようとも、他の信仰を判断することなく、自分の信じるものを敬ってください。腐敗した信仰を信じると神から遠ざかってしまいますが、誤った方向に行けばわたしの自動反応がそれをとらえて軌道修正するので、心配しないでください。無限の情報がDNAに保存されています。意識を持った順応体が物質の順応体と接触したとき、魂の定着が起きました。魂の定着とは、能動性を持った意識が波動に順応していくプロセスを指しますが、端的にいえば、魂が肉体に入るとスピリットの記憶が忘れられるということです。スピリットの記憶はDNAに貯蔵されるので、DNAとRNAが目覚めると、アクセス可能になります。それはコンピュータのハードドライブのようなものです。膨大な量の記憶が保存可能ですが、それだけでは役に立ちません。パソコンのプロセッサ(中央演算処理装置)がなければ、情報を保存することも、保存された情報を読み出すこともできません。データを読み出す機能があらかじめ入っていたとしても、人間がその使い方を知らなければ何の意味もありません。人間に内蔵されたハードドライブ、すなわちDNAの情報にしても同じです。無限の情報がDNAにプログラムされていたとしても、アクセスできなければ、人間に秘められた可能性を使いこなすことはできないのです。結局、すべては思考です。情報をいかに認識し、翻訳し、伝えるかにかかってきます。パワーを探し求める者は、パワーを使うことができなければすべてが無駄になることを知らなければなりません。他者の教えを暗記し、誰かに伝えることは、チャネリングではなく単なる記憶の想起です。天使について書かれた本を読むと、表現に多少の違いこそあれ、基本的にどれも同じ内容を伝えています。つまり、天使について書かれた本のほとんどが複写であり、さらに別の複写をもとにしているということです。
著書の方は自分がクリスタルチルドレンであることを自覚し、受け入れ生きていらっしゃいます。
それはあるがままを生き、究極の受容でもあります。
そんな方が見ている世界は、私が生きてきた世界でした。
同じ思いで 同じ記憶を持ち、より深く理解できるように発信している方がいる。
チームワークをつくづく感じます。
大いなる視野の存在たちの口癖?は 調整します です。
何かが起こって、バグ報告?(笑)不具合について伝えると「調整します」と言って離れていくのを感じます。
それからほどなくして、別の解決法が与えられ事なきを得ていきます。
このシステムに安心できないなら、宇宙、大いなる視野の存在たちのチームではいられませんね(笑)
直す必要はないのです。
変えるのは ちょっとした 意識だけ。
すでに出来上がったものを、もう一度作り直したり、壊してしまう必要すらなく
あ、これじゃない・・・・
もう一回お願いします・・・ という感覚。
彼らの無限の愛を受け取って、不要になったら手放すという繰り返しです。
凝り固まった背中をほぐしつつ(笑)
天使の羽が生えるスペースを空けていきます💛
今日の学びに心からの愛と感謝を込めて・・・・