【アレルギー】アレルギーは、対外物質に対する過敏な反応です。アレルギーをもっている物質は私たちが自分自身について非難し、拒絶し、分裂させてしまった部分を表しており、それに対し、アレルギー反応を使って自己攻撃しているのです。ですから、アレルギーは、自己批判に基づいており、何らかの点で、人生への抵抗を示唆しています。ナルシシズムの隠れた要素があり、それが過敏症となって行動に表れているのです。アレルギーはまた、あなたの周囲にこれまで有害な人や状況があった、という未完了の課題からきていることも考えられます。この場合、自分が有毒、有害、毒であると思い込んでいる、深いレベルのネガティブな自己概念があるということです。
アレルギー考えられる原因・内的要素誰かを嫌っているのか。自分の持つ変える力を否定している。新しい思考パターン世の中は安全。微笑みかけてくれる。安心して平穏無事に暮らせる。花粉症考えられる原因・内的要素感情的すぎる。予定表を見るのが怖い。被害妄想。罪悪感。新しい思考パターン私はあらゆるものと気持ちが通じている。私はいつでも守られている。
コレステロール
考えられる原因・内的要素喜びが通る管が詰まっている。喜びを受け入れるのが怖い。新しい思考パターン生きていくことはすばらしい。喜びの通り道はとても広い。喜びを受け入れても大丈夫。肥満考えられる原因・内的要素過敏症。恐れをあらわし、保護の必要を示している。その恐れは怒りを隠すもの、あるいは許しへの抵抗。新しい思考パターン私は神の愛に守られている。いつも安全で何の心配もない。成長を喜び、人生から受け取るものを喜ぶ。私はすべてを許し、自分の望み通りの人生を生きる。肥満箇所腕考えられる原因・内的要素愛を与えられないことへの怒り。新しい思考パターン私は安心のうちに望んだ愛を得る。腹考えられる原因・内的要素栄養不足への怒り。新しい思考パターン私はスピリチュアルな食べ物で自分を育てる。私は満足し自由だ。尻考えられる原因・内的要素両親に対する凝り固まった怒り。新しい思考パターン喜んで過去を許す。親の枷を離れることは安心。もも考えられる原因・内的要素幼児期の(往々にして父親への)怒り。新しい思考パターン父の幼年期に愛情が不足していたとわかっている。私はそれを許し、私たちはお互いに自由になる。
椎間板ヘルニア考えられる原因・内的要素支えのない不安定な状態。優柔不断。新しい思考パターン私の思考は神に支えられている。だから自分を慈しみ受け入れる。すべてがうまくいく。
「電磁波」とは、レントゲン撮影などに用いられるエックス線等の「放射線」、太陽光線や赤外線などの「光」、テレビ・ラジオ・携帯電話等に利用されている「電波」、電力設備等から発生する「電磁界」などの総称です。
「電磁波」の性質はその周波数によって大きく異なります。電力設備等から発生する電磁波は、他の電磁波に比べて極めて低い周波数であることから、「電磁界」と呼ばれ、下記のように用途や性質が異なります。
ほくでんネットワークより抜粋
電磁波は見えないエネルギーそのものであり、それに過敏に反応しているのは、自分のエネルギー体を受け入れていないということかもしれません。
そして ヒノキ というと・・・いろいろなサイトでググってみました
・「ヒノキ」の香りは高波動であり、凄く「場」が清まり空気がクリアになります。
・スサノオが自分の体から毛を抜いて撒いた。するとスギ、クスノキ、ヒノキ、マキになった。
おぉ・・・
スサノオにつながる記述を見つけました。
杉もスサノオと関係するとは興味深いですね。
こちらにはヒノキは記述がありませんが、私がアレルギー反応を起こす カバノキ(白樺アレルギーがあります)が載っていました
聖なる木の言葉
「それはまだ一粒の種、やら若く小さな芽。陽光と土を愛し、そよ風と雨を運ぶ。時の庭師のもとで守り育てよう。やがて頂は天を衝き、枝葉は山を蓋って、大いなる恵みをもたらすだろう」
癒しの言葉
「私は楽しい、私はうれしい、私は幸福だ」
誕生は常に喜びと幸福を伴います。自分が誕生したことは記念すべき人生の始まりで、何事にも替えがたいものです。周囲も小さな命の誕生を喜び、幸福感に満ちています。~中略
あふれるような喜びを自分の中に蘇らせ、希望に満ちた気持ちをどうか持ち続けてください。癒しの言葉を繰り返し声に出して言ってみましょう。楽しい気持ちのまま眠りに入ってください。
あぁ 喜びですね。確かに私は どこかで 高次元の計らい等で 起こった出来事に罪悪感を感じていました。それがゆえに、私には喜びの生活を送る価値がないという 刷り込みがどこかであったように思います。
そして、昔私は 日光アレルギーでした。さらに、フルーツの酵素にアレルギーがあります。ホルモンも食べられません。
このアレルギーに対しては、ずっと 高いエナジーを 体内に取り込むことが 問題だと思い込んでいました?
※ディセンション とはアセンション(次元上昇)があるので ディセンション(次元下降)もあるのです。私のイメージでは 世にいう闇落ちっていう感覚でディセンションをとらえています。修正が入りました(笑)こちらに ディセンションというのは 高次の存在がエネルギーレベルを落として降りてくることとありました?私の中の 闇落ちよりも 意図的に彼らが降りてきてくれるという意味合いが強いようです。
エネルギー・ヒーリングヒーラーがクライアントへの価値判断なしに癒しのパワーやエネルギーを中継していれば、そのヒーリングは純粋なものになります。けれどもクライアントに対する価値判断を持ちながら癒しのパワーを中継していると、そのヒーリングは純粋なものにはなり得ません。ヒーラーの判断が何かしらクライアントにエネルギーで伝わってしまうのです。これはクライアントに害を及ぼす可能性のあることですから、ヒーラー自身がそのような内的姿勢を、少なくともヒーリングの間留保できない場合には、セッションをしないほうがいいでしょう。価値判断の想念型は言葉にしなくても否定的な衝撃を与える危険性があるのです。あなた方がナザレのイエスと呼んだ存在は、ひざまづいて弟子たちの足を洗いました。これは絶大なる教えです。ここにアセンションの上昇螺旋をのぼりつめた、きわめて進化した師が存在していると想像してください。ほかでもないその高潔なる存在が膝をつき、目覚めのレベルがはるかに低いものたちの足を、手ずから洗うことをしたのです。これこそ彼の愛の教えであり、エゴからは決してできない行為です。人の本質に対する敬愛と祝福からなされた行為であり、そこに一切の価値判断はありません。それはアセンションした存在の鏡です。真にアセンションを達成した存在は、霊的に進化していない人たちの足を洗うことなど何も厭わないのです。ヒーラーとヒーリングヒーラーは、人のエネルギをあつかうことには危険が伴うことを知っておく必要があります。たとえば、適切な浄化をしないで病気の人をいやした場合、ヒーリングが終わった直後にエネルギーが枯渇してしまったように感じることもあるでしょう。あるいは、あとになって大変な事態を迎えるかもしれません。ヒーラーによっては、クライアントに癒しのエネルギーをもたらしたあと、すぐには感じなくても、自分の「カー」が底をついているのに気づいて愕然とする場合もあります。その理由は、ヒーラー自身の癒しの出どころや、個人的な気づきの程度と関係しています。人がエネルギーを必要とするときには、ある意識レベル(顕在意識レベルとはかぎりません)の自己が、だれかれかまわず得られるところからエネルギーを引き込んでしまうことがあります。もしあなたがヒーラーの立場でも、あなたが持っている種類のエネルギーを必要としているクライアントを癒すことになった場合には、そのクライアントは意識的にせよ、無意識的にせよ、あなたからそのエネルギーを引き抜いてしまうでしょう。私たちが言っているのは生命をつかさどるエネルギーすなわちプラーナのことで、それは肉体の霊的ツインといわれる「カー」に保持されています。人のエネルギー場が互いにつながると、エネルギーを求める側からエネルギーを持つ側へと、いくつものひもが送られます。それをとおして、エネルギーが欠乏している側は井戸から水を汲み上げるようにエネルギーを吸い上げます。こうしたことは自己の別の意識レベルで自動的に起こってしまい、ふつうは無意識のうちにおこなわれます。それこそ吸血鬼という言葉のもつ象徴的な意味にほかなりません。つまりエネルギーを人に「吸い取られてしまう」ことがありうるのです。実際には血を吸われるわけではなく、活力となるエネルギーを「カー」から吸い取られてしまうということです。こうしたエネルギー現象に対する心構えがなく、きちんとした理解もないままに、肉体的、感情的なエネルギーが枯渇していたり心理的動揺をきたしているクライアントと接すると、クライアントが帰ったあとに、ヒーラー自身はエネルギーを使い果たしたように感じます。これは看護師や医師、そのほか健康管理や医療業務に携わる人が、しばしば消耗しきってしまう原因の一つです。そうした職業にある人は、自分の「カー」から癒しのエネルギーを吸い取ろうとする病人につねに囲まれています。輸血と同様、エネルギーの輸注も可能です。以上のことがわかれば、エネルギーに関して初級レベルの理解に達したことになります。要するに、活力を人から引き出したり枯渇させたりすることがありうるということです。自分の「カー」の存在や、生命維持につながるエネルギーがどのように抜き取られているかを自覚しなければ、まるで突然プラグが引き抜かれてしまったように、エネルギーがからからになっているのに気づくことになるでしょう。そうすると、休養してエネルギーを補充しなければなりません。一方、ヒーラーの側に別のレベルでエネルギーの消耗が起きることがあります。それは個人の感情体の中の精妙な「感情の流れ」に関係しています。その「感情の流れ」はヒーラー自身のクライアントに対する考えや感情などの作用によるもので、なかにはヒーラーとしての予定表の結果という場合もあります。予定表とは、ヒーラー自身の期待や願望にそったヒーリングを押しつけようとするものです。ヒーラーである人は、癒しがどこからもたらされ、なぜ自分が人を「癒す」立場にあるのかを、思考でも感情でもきわめて明確に把握している必要があります。人を助けたい、よい人間でありたい、尊敬されたいなどという罪のない願望でさえ、潜在的な不純物ならびに歪みや消耗の原因になる可能性があるのです。もしヒーラーであるあなたが、自身のなかからエネルギーを送り出しているがゆえに自分の活力を枯渇させているとすれば、あなたはいずれ問題にぶつかることになります。なぜなら、あなた個人が所有したり使用したりできるエネルギーは、次に補給されるときまでの限られた分量だけだからです。ヒーラー自身が、自分は癒しのエネルギーの通り道であり、その源泉ではないことを明確に自覚していれば、エネルギーはあなたを通過して流れるだけで、あなたから失われることはありません。癒しのエネルギーが制限による滞りなくあなたに流れるようになれば、その純粋な状態によって、多くのヒーラーが体験しているような疲労困憊や消耗は大幅に減じることになるでしょう。もう一つ問題になる点は、ヒーラーは自分自身の「カー」と生命力について明確に自覚している必要があり、自身のエネルギーが引き出されたときには、それを感じ取れなくてはならないということです。残念ながら、ほとんどのヒーラーが自分のエネルギーを「吸い取られ」たり引き出されていることに、消耗しきってへとへとになるまで気づかないようです。人を「癒す」ために自分を守るための簡単な方法をご紹介しましょう。それは、あなたの意識の一部を、人体の中央を走るプラーナ管に向けるだけでよいのです。(詳しくは第1部でのべた通りです)。プラーナ管はあなたを天と地に結び付けてくれるので、それによって天と地の両方からプラーナを引き入れることができます。体内でこの二つの精妙なエネルギーが出合うと、あまねく存在する癒しのエネルギーがもっと大量にあなたに流れ込み、同時にあなた自身の気づきもいっそう深まり、グラウンディングしてバランスがとれるようになります。ヒーラーとしてのあなたは、自分自身の活力である「カー」への気づきを養う必要があります。いずれにせよ、エネルギーを引き入れるために物理的に近くにいる必要はなく、何千キロ離れていようとそれは可能です。ヒーリングには個人のエネルギーをついやすよりも、無限の宝庫である「すべてなるもの」という源からエネルギーを回してもらうほうが好ましいのは明らかでしょう。中略しかし変化の必要を見てとることと、変化を強いることのあいだには微妙な違いがあります。ヒーラーは、そうした変化を起こすのに機が「熟して」いるかどうかを見極められなくてはいけません。つまるところ、変化を起こすかどうかの選択はヒーラーではなく、癒される側が下さなければならないのです。自分の意向をクライアントに強いるようなヒーラーは、どれほどヒーリングの技術にたけていたとしても、結局はそれほどの効果をあげられないことに気づくでしょう。ヒーラーである人は、みずからに引き寄せるクライアントは往々にして自分の心理的・霊的問題を反映しているということも知っておく必要があります。癒しの過程で高次のエネルギーの通り道になることは、ヒーラー自身の学びのプロセスでもあるのです。自分のプロセスの反映であるクライアントに対し、謙虚で寛大かつ率直であれば、そのヒーラーは自己の気づきと思いやりにおいてさらなる成長を遂げるでしょう。最後になりますが、ヒーラーは、人には病んだり苦しんだりする権利もあるのだということを理解する必要があります。自身の予定表を押しつけるべきではありません。クライアントが自分の速度でより大いなる気づきへと歩むことができるよう、その余裕と柔軟性を認めるようにしてください。