私が物心ついたころ、人が死んじゃう(エネルギーが枯渇して黒く見える)とか オーラが見える
というのが 当たり前でした
記憶をたどると、たぶん小学校に入るころには、それが私にとっては当たり前と思っていました
ただ、小学校に入ると、それが当り前じゃないということに気づき始めます
それでもお友達は 変な子くらいで いてくれましたが
決定的だったのが、たぶん、親せきをお見舞いに行った病院で
ふと、あ、あの人あと何日で死んじゃうんだねぇ・・・って母親に行った時です
鬼の形相で母親が そんなこと言うもんじゃありません!!!!って怒られました
その時の私には なぜ 母親がそんなことを言うのか理解できず・・・
ただ、とても悪いことをしたのだという 思いだけが残りました
小学校時代は父の仕事の都合で2年おきに引っ越しをしていたので
転校生&変な子ということで、小学校2年から いじめ というものにあっていました
当時はまだいじめ なんて言葉すらない時代
突然「虫の会」(無視の会のもじり)というのが始まってターゲットにされたり
なんか よくわからない 私の好きな子があなたを好きって言ってるから云々いちゃもんつけられたり?
今思えば、些細な気に入らないことを吐き出すはけ口だったんだろうなぁと思えますが(笑)
小学校時代で鮮烈な記憶は
虫の会が行われている公園に、知らずに行ってしまい
私が行ったらみんな うわーーーーって 逃げたんです?
何?って思ったんですけど・・・
とりあえず ただ、公園に行きたかっただけなので
公園で ぼーーーっとしていました
そうしたら 天使がぎゅって抱きしめてくれました
ただただ暖かくて、やさしくて そこで いじめられているというか当時は無視されているという
残酷な現実を受け入れて 公園で大泣きしていました
小学時代から高校まで いじめ をずっと受けてきました
中学では 男子も加わって 精神的にも ものすごいひどいいじめをたくさん受けました
朝学校に行くと 校庭に机が一つ
誰のかなぁ?って教室に行くと自分のだったり?
机の中に モグラの死骸とか 生理用ナプキンを真っ赤にマジックで塗ったのが置いてあったり
まぁ、今これを 書いたら え?よく生きていたねというレベルと思います(笑)
他にも机に死ねとか書かれるなんて 当たり前
靴もなくなるし 公園に呼び出されて 誰と仲良くするなって蹴っ飛ばされたり?
ははは・・・
とはいえ、私の中で 救いだったのは、こんな不思議ちゃんな私に いつも親友と呼べる人たちがいたことです
その親友たちは みんな 私の不思議度を理解してくれて
私が死なないように(笑)息抜きをしてくれて
今思うと 多分守られていたんでしょうねぇ・・・・
その頃二つの出会いがあります
ひとつは My Birthday という雑誌
あら(笑)検索したら タロット復刻で(笑)
これが私が最初に手に入れたタロットですね?
当時はまだ 鏡リュウジさんも そんなに有名じゃなくて
あと 確か 私が手にしたのは その後 天野喜孝さんの タロットを購入しました
そのタロットと
この二つを主に使いつつ タロットカードを楽しんでいました
お友達を占ったり 結局、るりの占いが世に言う当たるということを お友達の中で広まって
イジメていた子たちまで最終的に占ったり、勉強を教えたりする結果になりました(笑)
このころから、宇宙からのメッセージを 宇宙からと知らなかったですが
なんか、こういうことしないと と思う・・・みたいな感じで(笑)
今はこうすべき!って思う瞬間が多かったです
そういうことに意味があるんだろうなぁ・・・というのと
タロットを使うことで 実はタロットから読み解いていない オーラの情報も伝えやすくなっていました
この時はまだ、オーラが 世に言う色診断じゃないことも 気づいていませんし
オーラなんてことすらしりません(笑)
それでも、相手の情報が ちらちら見える(第三の目のあたりに映像として浮かぶ)というのは起こっていました
当時の親友でUFOとか心霊現象の本をいっぱい持っている子がいて
その子からの情報をありがたく受け取っていました
さらに、初めて会う方が 名前を伝えると その人の名前の漢字が浮かぶということもありましたね(笑)
人の思念、想念 って 見えるんですよ(笑)
今ならわかりますが、当時は 不思議ちゃんで すごいねぇくらいでしたね
理論武装の癖はこのころの名残なのかな?(笑)
今では 普通に エネルギーが― とか チャクラがー とか言えるんですけどね
見えない人たちにとっては 見えないものは怖いというのを 知っていった時期でもあります
タロットを介することで 見えない物 が見えるようになり
みんな結局悩み相談は 私にと言う感じで それこそ いじめをしていた子たちも
それぞれの事情があり、それぞれに悩んでいるというのを知っていたのもこのころです
いじめとして 4~6人でグループになって 私をいじめるけど
そのあと こっそり そのうちの 一人、二人・・・最後は全員でしたけど?
こういうことで悩んでいると相談に来ていました(笑)
このころの在り方で なんとなく 悩みを持つことが 人に言っちゃいけないことなのかもと 刷り込まれたかもしれません?
今の抱え込みすぎる癖の形成ですかね^^;
そして、この当時 いじめのリーダーなんだけど 相談を受けているうちに なかよくなった Yちゃんという子がいます
その当時 とにかく 「Yを救いなさい」って やたらメッセージが降りていました
この当時、13歳でした
とにかく なんでいじめられている人を救うのか?と疑問に思いつつ
タロットを駆使して(笑)
少しずつ仲良くなって、最後にはいじめていたグループみんなが受験時に
私の家庭教師を受けている という不思議な構図になりましたね^^;
この「Yを救いなさい」「Yを助けなさい」 っていうのは ものすごいメッセージです
このブログでも 最近何度も ご紹介させていただいている 縁ちゃん・・・ なんですよねぇ・・・
ひとまず それは置いておいて・・・
そして、その家庭教師をする流れで Boowy さんと出会います(笑)
というか、いじめグループから仲良くなって一緒にルームシェアまでしたお友達が 氷室京介さんLOVEでした(笑)
私は 連れていかれた ロックのイベントで UPーBEATさんに なんかものすごい感銘を受けて
広石武彦さんLOVE になりました(笑)
受験期 ちょうどこの歌がリリースされて何度はげまされたことか!!!
中学から 高校は タロットとロックが 絶妙に絡んで素晴らしい青春を送らせていただきました?
とりあえず、今日はこのあたりで(笑)