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期待からの解放

ある友人との会話で「期待を裏切る」という言葉に少し違和感を覚えた
自己探求をし続けて「自己責任」を考えたとき、人がどう思うかは 「自己責任」から外れていく
誰にどう思われるか は 自分がコントロールできる 範囲を超えた問題
そう思われることでどう思うかのほうが重要
期待について考えたとき 自分が自分に期待すること は責任が持てる自己責任の範囲
けれど、誰かが勝手に抱いた 期待に応える というのは 他人軸なのではないかなと思えてきた
期待
ある人がそれをするのを(他の人が)あてにし、心待ちに待つこと。将来それが実現するように待ち構えること。
スピリチュアルな視点で考えたとき、これってすごく陥りがちなシチュエーションなのかもしれないと思えた。
そして、私はアセンションの過程で何か一つ大きなトラップにかかっているのを感じているので、
あぁ 私が手放すものは「期待」なんだと気づくことができた!!!
期待は、未来に何かしらの結果を期待したり、予測したりすること。でも、スピリチュアルな視点から見ると、期待はしばしばストレスや失望の元凶になることがある。期待が現実とのギャップを作り出して、今の状況に不満や不安を抱かせることにつながる。
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自己責任とは、過去や外部の状況に責任を押し付けるのではなく、自分の内面の力やリソースを活かして、現実を変えていく責任があるということ。
期待と自己責任のバランスが大事ということだと感じる。
過度な期待や目標にこだわりすぎることは、ストレスや苦しみを引き起こすことにつながる。一方で、自己責任を持ちながらも、現実を受け入れて内面の平穏と調和を見つけることが成長につながる。
期待や失望、自己責任は、内なる成長や学びの機会となる。
失敗や挫折から学び、自己成長につなげることができるのも、スピリチュアルな観点からの考え方。
自己責任を持ちながらも、柔軟性や受容の心を持ち、経験からの学びと成長を追求することが大事。
とすると、期待から解放されることが大事。
期待しすぎると、今の状況を受け入れられなくなったり、心の平静を乱したりすることがある。
期待を手放して、今この瞬間にフォーカスすることが、心の安定と幸福を見つける鍵になりそう。
期待は常に過去や未来であり 今ここ ではない。
とすると、期待を裏切るのは誰? 結局期待した時の過去の自分が勝手に裏切られたと感じるということ。
特に混同しやすいのは「他人の期待」
他人の期待に 責任を取る必要はない
期待していただくのはありがたいけれど、応えるのも必要ない
自分が自分のできることを行い、今ここにあり続けることが とても大事なのではと思う。
この絶妙な感覚は、もしかしたらあまり受け入れてもらえないのかなぁ。
他人の期待に責任を取る必要がないというのは、一見冷たく見えるのかも。
では、自分の期待は?こうなったらいいな~こうなりたい
というのは 具現化を妨げる要因となる。
期待をもって見ている自分はまだ かなえていない自分だから
期待を持つことは悪いことじゃないけれど、その期待を叶える自分に変わっていくことがアセンションであり
自分自身を変化させるコミットをしていくこと
行動を変えていくことが大事なんじゃないかなと思う
将来それが実現するように待ち構える
この状態の限り、具現化は起こせない
待っている状態だから、実現することを信じ、行動するのが具現化でもある。
期待を手放すのが今のテーマのようです。
この学びに心からの愛と感謝を込めて・・・・
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