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アセンションとワンネス体験

ワンネス体験のはじまりは、愛だ。愛は感動を生みだす。
胸がいっぱいで涙を抑えられない。その愛はハートをつらぬく。アンプを調節すると音楽の周波数が飽和するみたいに、人間である自分がこの愛で飽和状態になる。ハートが愛で満ちあふれる。
この愛が、人間である僕の殻を破り、それを超える次元の体験をさせる。
この愛から学んだ一番大切なことは、「私はあなた、あなたは私」。他者との区別はない。
それは頭で理解するコンセプトではなく、身体で感じる体験だ。
「私はあなた、あなたは私」という感覚が身体に浸透すると、見ず知らずの他人を見ても自分が見える。
人が体験している人生に深い感謝が湧いてくる。皆が一つの生命体のように、互いの体験を重ね合わせているのがわかる。
相手はただ違う自分であり、相手が言うことなすことは、自分が言い、なすことだ。
これはワンネス体験がもたらす境地のひとつだ。相手の目の中に自分が見え、相手の声の中に自分の思いが聞こえる。
それは一対一の関係だけでなく、自分対何万人という単位でも起こる。
脳で考えることではなく魂で感じることなので、数はまったく関係ない。
何万人が体験して感じていることを自分の感覚として感じたとき、それはバラバラなはずなのに一つのハーモニーとなり、ただただ美しかった。
ここでいうワンネス体験は シンクロニシティと置き換えてもいいかもしれません。
そして、私が誰かと話すとき、私は私と会話し、あなたから切り離します。
そして自分ごとに捉え、自分ならどうするかという視点で口からあふれた言葉を紡ぎます。
それはある人には未来が見えているように感じるでしょうし、過去を透視されたようにも感じるかもしれません。
けれど、それはすべてワンネス状態だから起こることで特別なことではないのです。
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大いなる視野の存在たちは、私たちを見守っています。
今、〇〇にこれが必要というエッセンスが届き、私はそれを繋ぐパイプとなります。
その時、私の理解した言語では到達しない場合、少しレベルを落とした言葉がチョイスされます。
それはまるで英会話教室の先生が私のレベルに合わせて、単語を選んでくれるようです。
日常的に使う会話では理解できないなら、知っていそうな単語を使う。
なんでしょう(笑)
デジャブすぎて笑えてきます。
ワンネス体験を段階ごとに簡単に述べてみよう。
▼ステージ1 不思議な気持ちから始まる
高揚したわくわく感と人生への熱い関心がわき起こり、すべてが愛おしく感じられる。
「生きているのは素晴らしい」という感覚で胸がいっぱいになる。
▼ステージ2 ステージ1の気持ちが感動へと発展する。
良い悪い、喜びと悲しみといった両極が一つになったビジョンが始まる。
大きな喜びと大きな悲しみが一つに混ざった感動が全身に広がる。
何が悲しいとか何が嬉しいとかの区別はつかない。
ただその感情の大きさに圧倒され、自然に涙があふれてくる。
涙が出るのは悲しいからではなく、その感覚があまりにも美しいから。
この時点ですでに通常の自分が感じている五感や感受性の幅が拡大している。
脳よりハートで感じることが主となる。 時間が直線的な流れから曲がりはじめる。
過去や未来のことが現在の上に浮かんでいる。つまり現在、過去、未来が同時に見える。
ここで見える過去と未来は、ほとんどが親しい友達や家族にまつわることだ。
そこに人がいれば、その人たちの考え、思い、感情などが察知できる。人と人のあいだで交わされる目に見えないコミュニケーションが見えてくる。
この時点で目と心の視覚が重なりはじめ、日常の現実の上にスピリチュアルな次元の現実がオーバーラップして見える。
一人ひとりの発する波動が個性として感じられ、それぞれのパーソナリティや人生を波動で味わう。
そしてステージ3に至るまで、花がほころぶように超感覚がさらに拡張していく。
▼ステージ3 ゆっくりと開く超感覚の花、ワンネスの花はより深い共感を生む。
このステージでは二つの重要な体験をする。 ずっと「僕」だと思っていた自分、すなわち自我が消えてしまう。
これが「僕」だと思っていた存在は錯覚だったと気づく。
その事実を受け入れ、覚悟を決める。これは脳で理解することではなくハートで体験することだ。
頭がどう考えようとも、心に刻まれる。 まず驚いたのは、情報の流れだった。
心で見る情報は、目で見る情報よりもはるかに多い。
「私はあなた、あなたは私」であり、自分と他者は一体であることを全身で体感する。
地球上すべての人と心がつながり、人々の内にある喜び、悲しみ、心配、希望、期待などが自分のこととして感じられてくる。
ハートが愛であふれ、大きな感動が始まる。
この時点で、視覚がふだん見えない別の層をとらえ、人々のそばに亡くなった人の霊や身体を持たないスピリットが見えはじめる。
▼ステージ4 地球上の人間すべてとの一体感から、「私」という境界線、フォームが完全に消え、宇宙と一体となった感覚がしてくる。
五感はさらに研ぎ澄まされ、五感を超えた感覚で新しい次元を体験する。
自分が自由自在に形を変える流体宇宙となり、宇宙に遍在して、望めばどこにでもいられる。
この時点で、目に見える現実次元とは別の次元を体験する。
音やイメージを振動として全身で体験する。
宇宙という素晴らしい生命、そのピュアな光、生きている光、透明で純粋な白い光、宇宙という無限の愛……そのすべてと一体化する。
▼ステージ5 宇宙のいたるところに生命が感じられる。意識を持った生命の活動を感じる。
地球人類だけでなく、はるか遠くの惑星に生まれた意識ある生命の活動の存在が感じ取れる。
その存在の美しさに感動する。
宇宙は何もない空っぽの空間ではなく、「生」で満ちあふれている。
宇宙と一体になれば、移動せずとも宇宙のどこでも見ることができる。距離に関係なく移動は瞬間的で、気の向くままに「無限の移動」が可能になる。
ステージ5に至ると、必ず身体から警告が響きはじめる。「それ以上体験をつづけると、心臓が止まるぞ」と。
とたんに日常の現実に引き戻され、気がつくと両手両ひざが床についており、心臓に激しい疲れを感じる。心臓が止まるギリギリまで進んだような気がする。ワンネスが何分つづいたか感覚がない。1秒? 1分? よくわからない。
区別がない世界。
その中でディセンションを選んだ自分への憤りを抱えていたことに気づきました。
その自分を尊重すること。
それが今の学びであり 冥王星が 山羊座から水瓶座に移行する時代に私が手放すべきものです。
感覚の生まれる瞬間をとらえた。はじめてだった。
相手に対する共感、自分のことのように人を心から思う深い気持ち。
そこからワンネス体験が起こっていた。
そこからすべての人に対する愛が生まれる。思えばそれは至極当然のことだった。
相手のことを自分のように感じ、考えること。相手との境目がないこと。人と一体になっている瞬間だ。
そして共感からワンネスへと発展するには、もう一つ必要な要素があった。
それは高い波動──宇宙人が訪れるときぐらいの──だ。
それにはどうすればよいかと考えていると、以前の体験からヒントが見えてきた。
〝訪れ〟が頻繁だった頃、クラシック音楽や高音域の音楽を避けていた。
そういう音楽を聴くと、気配がより強くなったからだ。つまり、そういった音楽には波動を高める効果があるということだ。
共感と、高い波動を呼び起こす音楽。この二つの要素を避ければ、突然ワンネスが起こることはない。
それがわかって嬉しくなった。 すると、逆にこれらの要素を使えば、それまで突発的に起こっていたワンネスを意識的に引き起こせるはずだという考えが浮かんだ。2秒考え、さっそく実行に移してみた。
音楽を用意し、先日の手紙をもう一度読んだ。共感、その子への愛おしさがこみ上げてくる……出た! ワンネスの感覚が生まれた。それが深いワンネス感覚に発展しそうになる直前、脳で記憶しようと試みた。
すると感覚は止まった。終了だ。 これは重要な学びだった。
ワンネスは脳では体験できないばかりか、逆に脳はワンネスの邪魔になる。
判断をいっさい介入させず、ただ観察する姿勢でなければ、共感からワンネスへと発展することはない。
意識の働く場所を、脳からハートに移す必要があるのだ。 こうしてワンネス体験を起こす要素がわかった。
あとで述べるように、まずベースに「魂の合意」がなければならないが、そのうえで次の三つが必要となる。
●共感
●高い波動
●観察に徹する姿勢(頭ではなくハートで感じる)
この三つの要素がそろうと、感動の花が咲きはじめる。
この感動の花がワンネス体験への扉になる。扉が開くと、そこは無条件で無境界の愛の世界。
その愛に包まれていると、ついには自分が愛そのものに溶けていく。
愛と宇宙と自分の区別がなくなり、自分自身も自我のない「わたし」になる。
宇宙も、個々の銀河や恒星や惑星で構成される宇宙ではなく、愛そのものの宇宙となる。
「宇宙=愛=わたし」が一つに融合したものとして存在する。
僕はさっそくワンネスを呼び起こしてみた。
ワンネスの感覚を楽しみたかったわけではなく、もっと幅広く見て深く理解したかったからだ。
波動が上がると、理解の度合いは大きく広がる。
スピリチュアルな次元にアクセスでき、多種多様な情報が流れ込んでくる。
人間として生きている「今」がずっとクリアに認識できるようになる。
波動を使ってフォーカスを今に合わせたことはあったが、今度はワンネスの誘起でそれをしてみようと思った。
音楽を流し、アパートの部屋の窓辺に立って外を歩く人々を見つめ、彼らと一体になるよう心を整えていった。
すると共感の気持ちがわき上がり、感動という花が咲きはじめる。
感動の花が開いたら、その感覚でハートを満たし、存分に味わう。
通常の感動をはるかに超えたレベルの感動に達し、一瞬にして地球上すべての生きものと一体になるのを感じた。
このとき、身体のなかを何かが少しずつ上ってくるような感覚があった。
へそから心臓のあたりにかけて、その通り道まで見えるようだった。
ありとあらゆる生きものと一体になる感覚は素晴らしかった。
一人ひとりがしていること、感じていること、それぞれ違う場所、違う方向で人々が体験していること、そのすべてが自分のことに感じられた。
見えている世界が一気に濃く全方向に広がる。
美しいビジョン! 思い出すだけで鳥肌が立つ。
そのビジョンが訪れるのは一瞬だけ。
次には宇宙との一体感がやってきた。 これがはじめて自分でワンネスを誘起したときの体験だった。
著者の体験を別の形で味わっています。
エナジーを理解し、チャクラを学び、光線を理解しようと努めています。
が、これがうまくいかない(笑)
それもそのはず、「ハートで理解する」必要があるからです。
それは体験でしか得られず、感覚としてしか残らず、その記録はアカシックレコードに保管されていきます。
私の場合、脳を超えた理解は脳がごまかすので、脳が自己否定を始める前に大切な情報をアカシックレコードにアップロードしているのかもしれません(笑)
それは「体験する」ことと「頭で理解する」ことの違いだ。
ワンネスを体験しているときにその内容を頭で理解することは不可能だ。
頭で解釈しようとした瞬間、ワンネスはそこで終わってしまう。
判断も解釈もせず観察者の立場でいなければ体験は保てない。
そしてワンネス体験の記憶は頭に残るのではなく、ハート(魂や直感とつながった心)と身体に刻まれる。
ハートと身体で思い出すのだ。ではワンネスという体験は、いったい身体のどこで感じているのだろう。
マインドが悪なのではなく、スピリチュアルな体験を形式建てするのが脳の得意分野です。
カテゴライズしたり、過去に戻ってデータを捜しに行く。
けれど、それを超えて生きていると 善悪などの判断を超えた考え方、思考回路が形成されます。
3次元に囚われてしまうと 善悪で 判断してしまいますが、高い視点に戻すと
あぁ、その選択をしたのだから仕方ないよねとか、ある種全然自分の知らない知識すらダウンロードされてきます。
よく、るりさんって本当に何でも知っているよねと言われます。
でも、それはアカシックレコードから降ろされた情報や、オーラから読み取った情報と高い視点から得たものです。
それらは、すべて あなた自身がすでに持っているものです。
特殊なことは何も起きていません。
オープンマインドで、ハートで感じたことを表現することがスムーズになればなるほど情報が降りてきます。
まだまだ 三次元の罠に うっかりはまることもありますが、そのもやもや、気持ち悪さを払拭する視点に切り替えると
気づきが生まれます。
この気づきに心からの愛と感謝を込めて・・・・
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